ツブカル山登山とモロッコの旅(34) ― 2006/12/05 00:02

絨毯工房~フェズのメディナにて
<10日目>
9/25(晴れ)フェズ~メクネスMeknes~ボルヴィリスBolubilis(ローマ遺跡)~ラバトRabat
重い荷物を背負って列車の旅が始まった。まずはメクネスへ。ガイドブックに荷物預かりがある駅として記載されていた中央駅Gare Principaleで下車。ところが、駅員に聞くと廃止になったという。その駅員の後ろから達者な英語で話しかける男が現れた。「以前には荷物預かりがあったんだがねぇ~ローマ遺跡に行きたいんだろ!俺のタクシーに乗れば荷物はトランクで保管されて安全だから、安心して遺跡を見られるよ。300Dh(約3000円)でどうだね。」値切りもきかない。「俺は急がないからゆっくり考えていいよ。」などと言う。完全に足元を見られている。
しばし考えた末に、結局言い値で乗ることにした。車はまたしても黒塗りのベンツ。荷物をトランクに収めて、後部座席に乗り込むと、運転手は初老の実直そうなおじさん。ものの100mも走ったかと思うと、さっきのぺらぺら男は「次の客を捕まえに行くから」とさっさと下りていってしまった。やっこさんが社長で、何台かの車を管理してセールスをしているらしい。
メクネスはモロッコ随一のワイン産地である。郊外に出るとブドウ畑が広がっている。緩やかな丘陵地帯だ。1時間ほど走ると遺跡の丘に着いた。ここも世界遺産だ。入場料20Dhを払って中へ。思ったよりも広く、40haもある。2000年前に建設されたとは思えないほどしっかりと残っている。浴室の床のタイル画などは色鮮やかなものだ。雨が少なく地震もないところに大理石で建てればこうなるということだろう。これがコンクリートだったら何も残っていないだろう。
帰路、遺跡のすぐ近くにある古都ムーレイ・イドリスに寄った。二つの丘にまたがるようにぎっしりと家が建っていて車が走れる道がない。ごちゃごちゃ立て込んでいるところは日本の漁師町みたいだがこちらのほうが美しい。1200年前にモロッコ最初のイスラム王朝が建設されたところだそうである。この街の郊外にあるオリーブ油工場を見せてもらった。運転手君が交渉してくれたのである。出てきた主人は上品な紳士。突然の訪問にもかかわらず「へぇ~日本からですかぁ~」と感心した様子で、ていねいに搾油のプロセスを説明してくれた。
メクネス市街へ戻り、これまた世界遺産のメディナ、王宮の入り口に建つマンスール門、ムーレイイスマイル朝の穀物倉などを簡単に見て回ってから中央駅へ。再び列車に乗って首都ラバトへ向かった。感心したのは列車がダイヤ通りに走っていること。ネットで調べてきた時刻表のとおりにちゃんとやってくる。
ラバトへは2時間半ほどの行程。初めはすいていたのだが、次第に込んできて8人すわりのコンパートメントがいっぱいになった。きざな身なりのやくざ風の男、純朴な百姓オヤジ風の男、立派な体格の若い男、上品なふっくらとした農家のおばちゃん風、化粧がきつい水商売風の中年女、もう一人の中年男、そして我々。お互いに初対面なのだろうが話が盛り上がっている。やくざ風がしゃべりまくり、水商売風が合いの手を入れるのだが、他の4人もうなずいたり短い質問をしたりしている。残念ながらアラビア語なので全く内容がわからない。我々だけが蚊帳の外である。しかし、もう一人の中年男が通路に立っていた子供連れの若い母親に席を譲って外に出たところでチャンスが来た。
ザックの中からメモ用紙を取り出して鶴を折り始めると、みんなの視線が小生の手元に集まりだした。出来上がった鶴に息を吹き込んで翼をひろげると「お~」の歓声。それを子供にあげて、次は連鶴。大鶴の翼の先と嘴の先に子鶴をぶら下げて完成。真っ先に百姓オヤジ風から声がかかった。しかし英語のボキャブラリーが足りない。それでもしばらくの間、たどたどしいが楽しい会話が続いた。
ラバトは近代的な美しい町だった。早速、夕食を食べにスークへ出かけた。閑静なオフィスビル街からスークの門をくぐれば風景は一変、いつもの猥雑で活気のある空間が広がる。大勢の客が入っている食堂でタジンとスープを注文した。ここは鶏肉のタジンだったが、よく煮込んであってうまい。どんぶりをパンでぬぐって1滴の汁も残さずに食べた。
<10日目>
9/25(晴れ)フェズ~メクネスMeknes~ボルヴィリスBolubilis(ローマ遺跡)~ラバトRabat
重い荷物を背負って列車の旅が始まった。まずはメクネスへ。ガイドブックに荷物預かりがある駅として記載されていた中央駅Gare Principaleで下車。ところが、駅員に聞くと廃止になったという。その駅員の後ろから達者な英語で話しかける男が現れた。「以前には荷物預かりがあったんだがねぇ~ローマ遺跡に行きたいんだろ!俺のタクシーに乗れば荷物はトランクで保管されて安全だから、安心して遺跡を見られるよ。300Dh(約3000円)でどうだね。」値切りもきかない。「俺は急がないからゆっくり考えていいよ。」などと言う。完全に足元を見られている。
しばし考えた末に、結局言い値で乗ることにした。車はまたしても黒塗りのベンツ。荷物をトランクに収めて、後部座席に乗り込むと、運転手は初老の実直そうなおじさん。ものの100mも走ったかと思うと、さっきのぺらぺら男は「次の客を捕まえに行くから」とさっさと下りていってしまった。やっこさんが社長で、何台かの車を管理してセールスをしているらしい。
メクネスはモロッコ随一のワイン産地である。郊外に出るとブドウ畑が広がっている。緩やかな丘陵地帯だ。1時間ほど走ると遺跡の丘に着いた。ここも世界遺産だ。入場料20Dhを払って中へ。思ったよりも広く、40haもある。2000年前に建設されたとは思えないほどしっかりと残っている。浴室の床のタイル画などは色鮮やかなものだ。雨が少なく地震もないところに大理石で建てればこうなるということだろう。これがコンクリートだったら何も残っていないだろう。
帰路、遺跡のすぐ近くにある古都ムーレイ・イドリスに寄った。二つの丘にまたがるようにぎっしりと家が建っていて車が走れる道がない。ごちゃごちゃ立て込んでいるところは日本の漁師町みたいだがこちらのほうが美しい。1200年前にモロッコ最初のイスラム王朝が建設されたところだそうである。この街の郊外にあるオリーブ油工場を見せてもらった。運転手君が交渉してくれたのである。出てきた主人は上品な紳士。突然の訪問にもかかわらず「へぇ~日本からですかぁ~」と感心した様子で、ていねいに搾油のプロセスを説明してくれた。
メクネス市街へ戻り、これまた世界遺産のメディナ、王宮の入り口に建つマンスール門、ムーレイイスマイル朝の穀物倉などを簡単に見て回ってから中央駅へ。再び列車に乗って首都ラバトへ向かった。感心したのは列車がダイヤ通りに走っていること。ネットで調べてきた時刻表のとおりにちゃんとやってくる。
ラバトへは2時間半ほどの行程。初めはすいていたのだが、次第に込んできて8人すわりのコンパートメントがいっぱいになった。きざな身なりのやくざ風の男、純朴な百姓オヤジ風の男、立派な体格の若い男、上品なふっくらとした農家のおばちゃん風、化粧がきつい水商売風の中年女、もう一人の中年男、そして我々。お互いに初対面なのだろうが話が盛り上がっている。やくざ風がしゃべりまくり、水商売風が合いの手を入れるのだが、他の4人もうなずいたり短い質問をしたりしている。残念ながらアラビア語なので全く内容がわからない。我々だけが蚊帳の外である。しかし、もう一人の中年男が通路に立っていた子供連れの若い母親に席を譲って外に出たところでチャンスが来た。
ザックの中からメモ用紙を取り出して鶴を折り始めると、みんなの視線が小生の手元に集まりだした。出来上がった鶴に息を吹き込んで翼をひろげると「お~」の歓声。それを子供にあげて、次は連鶴。大鶴の翼の先と嘴の先に子鶴をぶら下げて完成。真っ先に百姓オヤジ風から声がかかった。しかし英語のボキャブラリーが足りない。それでもしばらくの間、たどたどしいが楽しい会話が続いた。
ラバトは近代的な美しい町だった。早速、夕食を食べにスークへ出かけた。閑静なオフィスビル街からスークの門をくぐれば風景は一変、いつもの猥雑で活気のある空間が広がる。大勢の客が入っている食堂でタジンとスープを注文した。ここは鶏肉のタジンだったが、よく煮込んであってうまい。どんぶりをパンでぬぐって1滴の汁も残さずに食べた。
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