ツレアイ章子さんの突然の旅立ち ― 2025/07/09 07:08
我がツレアイ・大沼章子さんは、
7月1日午後6時半、永眠しました。
6月27日の午後10時過ぎ、日泰寺裏付近を自転車で走行中に転倒し、
名市大病院に搬送されましたが、脳の損傷が激しく、
数時間後には呼吸中枢があやしくなり、
脳外科医から気管挿入するかどうか問われて、挿入を決めました。
医師は2日間程度かもと言っていましたが、約4日間の闘いが続きました。
7月3日、名古屋第2斎場にて、息子、娘、孫たち、章子さんの弟夫婦、甥などの内輪だけで火葬(式)を済ませました。漠然と「墓なんかいらない、葬式も要らない」などと言いあっていただけでしたが、突然の悲劇の中での判断でした。
「この調子なら、100歳まで這ってでも二人で暮らせそうだね」と言っていたのですが…
生前、様々な方々にお世話になりながら、素晴らしい人生を歩んできましたが、
思いがけず、突然の終わりがやってきました。
やりかけていた調査が中断してしまってご迷惑をかける方々もいるでしょう。
それらすべての皆さんに、御礼と謝罪をしつつ、緊急の連絡とさせていただきます。
後日、章子さんを偲ぶ会を開催するつもりです。
改めて、お知らせをしますので、よろしくお願いします。
嗚呼、独居老人になってしまいました!
★
写真の山は、スロベニア最高峰のトリグラフ(2864m)です。ハーネスとヘルメットを準備して出かけたのですが、ドカ雪が降って登れませんでした。それでも、山小屋に泊まりながらの山旅は充実していました。
7月1日午後6時半、永眠しました。
6月27日の午後10時過ぎ、日泰寺裏付近を自転車で走行中に転倒し、
名市大病院に搬送されましたが、脳の損傷が激しく、
数時間後には呼吸中枢があやしくなり、
脳外科医から気管挿入するかどうか問われて、挿入を決めました。
医師は2日間程度かもと言っていましたが、約4日間の闘いが続きました。
7月3日、名古屋第2斎場にて、息子、娘、孫たち、章子さんの弟夫婦、甥などの内輪だけで火葬(式)を済ませました。漠然と「墓なんかいらない、葬式も要らない」などと言いあっていただけでしたが、突然の悲劇の中での判断でした。
「この調子なら、100歳まで這ってでも二人で暮らせそうだね」と言っていたのですが…
生前、様々な方々にお世話になりながら、素晴らしい人生を歩んできましたが、
思いがけず、突然の終わりがやってきました。
やりかけていた調査が中断してしまってご迷惑をかける方々もいるでしょう。
それらすべての皆さんに、御礼と謝罪をしつつ、緊急の連絡とさせていただきます。
後日、章子さんを偲ぶ会を開催するつもりです。
改めて、お知らせをしますので、よろしくお願いします。
嗚呼、独居老人になってしまいました!
★
写真の山は、スロベニア最高峰のトリグラフ(2864m)です。ハーネスとヘルメットを準備して出かけたのですが、ドカ雪が降って登れませんでした。それでも、山小屋に泊まりながらの山旅は充実していました。
最近のコメント