COP10が終わった(その報告1)2010/12/13 20:40

本会議場で演説する松本環境大臣

COP10が終わって、あちこちから原稿依頼が舞い込んだ。
そのうちにひとつである季刊「ピープルズプラン」誌が発行されたので、
このブログ上でも紹介することにしたい。
       
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生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で起きたこと、見えたこと
(季刊「ピープルズプラン」第52号(2010)掲載)

 大沼淳一   (生物多様性条約市民ネットワーク(CBD市民ネット)・            生命流域作業部会)

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 本年10月11日から29日まで、名古屋市で開催されたCOP10は、この会議過去最大の13000人の参加登録者を集めたが、名古屋・愛知を除けば開催を知らない市民が圧倒的に多かったのではないだろうか。会議が始まっているさなかに、中国電力が生物多様性のホットスポットである上関原発予定地の埋め立て工事を強行しようとしたあたりに、この会議や生物多様性条約そのものの知名度の低さが表れている。しかし、会議の渦に巻き込まれてみると、体裁だけで実のない日本政府や電通の仕切りに腹が立つと同時に、私たちの目指すべき世の中のあり方についての示唆が含まれている重要な会議でもあった。

生物多様性条約とは
 この条約は、1992年リオデジャネイロで開催された国連地球環境サミットにおいて、気候変動枠組み条約とともに誕生した。批准した国の数は191に達し、批准していないのはアメリカ合衆国など3カ国だけ。温暖化防止で京都議定書を離脱したアメリカは、この条約でも世界に背を向けている。アメリカの経済学者J.スティグリッツでさえも、アメリカこそ「ならず者国家」だと言っているが、まさに自国の資本家の利害しか考えない無法者国家である。
 この条約は、生物多様性の保全、生態系サーヴィスの持続可能な利用、そして遺伝資源の利用から得られる利益の衡平公正な配分を3大原則としている。また、遺伝子組み換え生物の国境間移動に関して予防原則のもとに制限を設けるカルタヘナ議定書があり、COP10に先立って議定書締約国会議(MOP5)が開催された。

COP10の課題と成果
 「生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」ことを掲げた2010年目標が落第点であったことが確認され、新たに2020年目標が設定された。しかし、定性的な表現にとどまり、保護区の設定面積目標などが低く抑えられて実効性が懸念される内容となった。最大の課題であった遺伝資源に関する先進国によるバイオパイラシー(海賊行為)に歯止めをかけるために、すでに条約本文にうたわれている「遺伝資源の利用から得られる利益の衡平公正な配分(ABSと略記される)」を議定書に格上げする案件については、最終日の深夜から未明までかかって、なんとか名古屋議定書が決議された。資源を利用する時に原産国の許可を得なければならないとしたことや、利益配分の対象を研究開発で資源を改良した派生品まで広げたこと、不正な持ち出しに対するチェック機関を利用国側にも設けるとしたことなどは評価できる。しかし、途上国が求めた議定書発効以前の(植民地時代からの)利用については盛り込まれなかった。ABSルールが確立することによって、途上国政府が自国の先住民族や地域コミュニティなどが利用してきた薬草やそれを利用する知恵を勝手にたたき売るような事態が頻発することも懸念される。
 MOP5では、遺伝子組み換え生物による汚染が起きた時の責任の所在と補償について名古屋・クアラルンプル補足議定書が決議されたが、やはり実効性が希薄なものとなった。

日本政府と名古屋市・愛知県
 生物多様性国家戦略を3度も改定し、生物多様性基本法、遺伝子組み換え生物に関するカルタヘナ法など国内法の整備も進んだ日本という国は、この条約からすればお手本のような国のようにみえるかもしれない。しかし、開発系省庁の大臣も出席して閣議決定され、美しい文言が連ねられた国家戦略が生物多様性を根底的に破壊するダム開発などの大型公共事業を止めるために役立ったことは一度もない。条約を批准していないアメリカの意向を代弁するかのように、遺伝子組み換え作物に関する制限の緩和に向けて動くなどの行動が目立ち、COP9が開催されたボンでは、NGOによって「次期開催地は日本以外ならどこでもいい」「Hostile Host敵対的なホスト国・日本」のビラがまかれた。
 名古屋市と愛知県が開催地となったことの意図もよくわからない。工業出荷額日本一を30年以上独占し多くの箱モノが建設されたが、自然系博物館がほとんどないという土地柄である。牧野コレクションに次ぐと言われた井波一雄さんの植物標本は引き取り手がなく、千葉県立中央博物館に収蔵されたという情けない地域である。この2年間、「生き物にぎわい」をタイトルにした市民向け啓発イベントが毎週のように開催されたが、COP10の主要議題とは無関係。本番の会議場や外の展示ブースの仕切りも電通とその子会社である。このあたりの構図は愛知万博と全く同じであった。
 先進国と途上国の対立が続き、名古屋議定書や2020年目標の成立が危ぶまれた最終局面になって来名した管首相が1600億円供与を約束する演説をしたが、この金が途上国をなだめる効果を持ったようである。生物多様性保全施策は極めて貧困であるにもかかわらず、日本政府は条約批准国中第1位の資金供与国なのである。COP10最終日に、国際NGOは主要な国に対してニックネームを付けた。日本政府に与えられたのは「絶対的な矛盾Strict Contradiction」であった。

CBD市民ネットワークと生命流域の再生
 開催国のNGO側の受け皿として2009年1月に、大手環境団体などや個人が参加して結成されたのがCBD市民ネットワークである。開催地名古屋では多様な個人が集まって生命流域作業部会が発足し、生物多様性条約の根底には南北問題があるという切り口から議論と行動を開始した。我々が暮らす伊勢三河湾集水域に宿る南北問題とはすなわち不条理な上下流間格差である。安全でおいしい木曽川などの水(=上流域生態系サービス)を利用して繁栄する下流域都市圏。そこではトヨタをはじめとする輸出産業がWTO自由貿易体制下で大もうけをしているが、その見返りとして安価な農林産物が輸入され、上流域の農林業が疲弊した。若い労働力を奪ったのも下流域都市圏だった。上流域に送られたのは産業廃棄物だけだった。豊饒の内海であった伊勢三河湾を汚染し、藻場や干潟を消失させたのも下流域都市圏の繁栄そのものだった。
「流域は単なる集水域でなく、生命流域(Bioregion)として水と生命の循環を再生しなければならない。根底的な答えは脱成長社会であるが、当面やるべきことは繁栄する都市圏から疲弊する上流域および沿岸域へのお金や人の流れをつくる仕組みづくりである」というコンセプトのもとに、長野県王滝村で「生命流域シンポジウム」を開催し、COP10や日本政府に向けてポジションペーパーを提出し、開催地住民アピールを発表し、長良川河口堰や諫早湾干拓のゲートを上げることを求めた。
 脱成長について異論を唱えたのは、「生態系と生物多様性のための経済(TEEB)」や生物多様性オフセットなどのグリーン経済を支持する首都圏のグループであった。議論は最後までかみ合わないまま、首都圏グループは毒にも薬にもならない文言に終始した別の開催地宣言を発表した。

CBDアライアンスと上関原発
 生物多様性条約に関する国際NGOネットワークであるCBDアライアンスが来日して、環境省や外務省に気兼ねして自主規制気配が強かった首都圏NGOのトーンが変わった。COP10開幕セレモニーでのNGO共同アピールに上関原発問題が盛り込まれたのである。CBDアライアンスによる「市民社会が考えるCOP10における10の課題」でも、グリーン開発メカニズムのようなリスクの高い手法は採るべきではないと一刀両断である。ヨーロッパの環境NGOと日本の環境団体とのスタンスには顕著な差があったのである。
 緊迫する上関現地から、COP10開催中に数度にわたってメンバーが来名し、会議場内での記者会見、展示ブース会場でのワークショップ、サイドイベント会場でのトークショウなどが展開され、そのたびに新聞報道された。このことが効いたのか、埋め立て作業船が座礁したのを契機にして中国電力はとりあえず全作業船を引き揚げた。

先住民族とジェンダー
 CBDアライアンスと同じ大きさの部屋を国際会議場内に確保したのが生物多様性に関する国際先住民族フォーラム(IIFB)であった。生物多様性条約は気候変動枠組み条約に比べて実効性に乏しく、脆弱だという印象を持っていたが、先住民族や地域社会そして女性のジェンダーの果たしてきた役割を高く評価するなど、とても包括的な条約であることに気がつき、大いに見直した。実効性の担保が希薄な点は、NGOの行動力で補いながらより良い条約を目指していく必要がある。次回COP11はインドで開催される。WTO-TRIPs協定による生命特許の問題や、ABS議定書による先住民の知恵や遺伝資源に関するパイラシーの増大問題などについて、これから準備を始める必要がある。生命流域再生の課題も山積している。私たちにとってのCOP10は様々な宿題を残して第Ⅰ幕を閉じた。