ツブカル山登山とモロッコの旅(29)2006/11/23 17:49

砂丘からメルズーガを見下ろす
(ゴビ砂漠の先にエルフードの町があるはず、背中側はサハラ砂漠の本格的な砂丘群が続く、アルジェリアが近いという)

           <第8日目>

9/23(曇り) ワルザザード~メルズーガMerzouga往復~フェズFez
 
早朝3時45分、フロントからの電話でたたき起こされた。昨夕マフメッドから聞いた時間より30分も早い。身支度をして玄関に行くと、昨夕面通しをした老人が待っていた。70才は楽に超えていると思われる。真っ白なあごひげ、頭には青いターバンを巻いて、白いゆったりとした着物を着ている。車は年代物のランドローバー。
 老人は英語を一言もしゃべれないようで、全ては身振り手振りとなる。その手振りで車に乗り込み、真っ暗な中を出発した。何故かスピードは5~6㎞/h、人気のないエルフードの街をのろのろと走る。上のギアが壊れているためではないかと心配になる。
 やがて、街が終わるとゴビ砂漠に入った。道はすでに無く、ゴビのでこぼこを避けながら進む。次第にスピードが上がって、ギアもトップに入った。約1時間ほど走ったところで前方に車と人影が固まっているのが見えてきた。メルズーガ、本格的な「砂」砂漠とゴビとの境目である。老人は真っ暗な闇に向かって無言で「あちらへ行け」と手を指したかとおもうと、どこかへ行ってしまった。ヘッドランプを点灯して歩き始めようとしたところで白衣をまとったベルベルの若者が近づいてきた。はは~ん、これがガイドブックに書かれていた自称ガイド君である。優しげな、少々頼りなげな若者である。「我々は君の助けはいらないから別の客を捜せ」と言っても英語は全く通じないようである。身振りで示してもついてくる。結局この若者には最後に20Dhあげることになった。
 砂漠の砂は実に細かい。サンダル履きの足の指の間を詰めたい水のように流れていく。砂丘に登るのも一苦労である。一歩前進、半歩後退を繰り返しながらじりじりと登る。砂丘の頂上に腰を下ろして日の出を待つ間、ハーモニカを吹いた。月の砂漠、荒城の月・・・砂漠にはスローな曲がよく似合う。
 やがて日の出、あちこちの砂丘の頂に何人かの観光客が座っているのが見えてきた。窪地には黒いベルベル人のテントも見える。観光用の宿泊テントであろう。ラクダに乗って移動している連中もいる。砂丘の色は赤褐色。朝日が当たればさぞかし見事な風景となるのであろうが、残念ながら今日に限って雲が多い。
 ホテルに戻ったのが8時。朝食を食べ、フェズへ向かって9時30分に出発。今度はモワイヤンアトラスを越える。降水量が多いらしく、針葉樹の森が広がり、スキー場まであった。数百㎞東へよっただけでずいぶん違うものである。この峠越えではベンツのアクセルが効かなくなって、停止と発進を繰り返しながらの不安な道中となった。しかし、途中の避暑地イフレンIfraneで1時間ほど休憩するうちに、故障は直ってしまった。車を直している間に街を散歩。なんとこの町に住む素敵な日本人女性に会った。日本人も今や世界中に住んでいるのである。あとはフェズまで一気の下り。なんとか夕方のフェズに入ることが出来た。実直な運転手、マフメッド君ともお別れである。

ツブカル山登山とモロッコの旅(30)2006/11/23 17:54

あいにく今日に限って雲が多く、陰影のくっきりした砂丘の写真がとれなかった・・・砂漠の砂は実に赤い

ツブカル山登山とモロッコの旅(31)2006/11/23 17:57

左がハッサン、右はドライバーのマフメッド

            <第9日目>

9/24 (晴れ)フェズ市内観光
 キャラヴァンヴォヤージュ社に手配を依頼した最後の日になる。ホテルに現れたガイド君の容貌は、ハリウッド映画に出したいようなキャラクターの持ち主であった。名前はハッサン。カナツボ眼、口ひげ、自信たっぷりの英語とオーバーアクション、日本語も少々。世界遺産に指定されているフェズのスーク(=迷宮)の案内人としては絶妙の雰囲気である。
 迷路のようなスークに足を踏み入れるやいなや、足下の物乞いに10Dh硬貨(約100円)をこれみよがしに恵んだのにまず驚かされた。「我が国では持てる者が持たざる者に施しをするのは当たり前なのだ。分かち合いの心が我が国では生きているのだ。」との名演説が続いた。皮革工房ではサンダルを買ったのだが、帰り際に皮の小銭入れをポケットに入れて店を出て、外の通りでプレゼントだと言って渡してくれる。店の親父が見ている前でやっているわけだから演技であることは見え透いているのであるが、それを照れずにやれるところが役者である。刺繍の店では、何も買わなかったのにハンカチをプレゼント。おいおい、演技の相手を間違えていないかい?
 銀細工、宝石店、次から次へと土産物屋を案内してくれるのであるが、最初のサンダルを除けば我々は何も買わなかった。ハッサン君の演技をおもしろがっていた我々も、半日つきあってそろそろ嫌気がさしかけていた。昼食でレストランに入ったところで見込み違いに気が付いたハッサン君、気の毒にソファーに寝ころんでふてくされはじめた。昼食が終わると、プログラムは終わったからホテルに送るという。我々は博物館も見ていないし、有名なメディナの門も見ていないではないかというと、それは自分で勝手に行けという。「う~ん、よしよし、じゃあここでさよならしよう」。そのあとは迷宮のあちらこちらを自力で歩き回り、実に楽しい半日となった。メディナの外へ出れば軽自動車のタクシーが走り回っていて、安く移動も出来た。但し、タクシーの運転手にはほとんど英語が通じなかった。フランス語の地名の読み方ぐらいは覚えておくべきだったと少々後悔した。
肉屋、魚屋、家具屋、皮革工房、八百屋・・・業種ごとにブロックをつくっているようだ。みんな生き生きと忙しげに働いている。皮を染色している現場を2階から見下ろした風景がことに印象的だった。色とりどりの染色液、なめし液の水槽が数十個、絵の具のパレットのように並んでいる。その横では半月の形をした刀で皮から脂肪層を剥ぎ取っている。
(※ 後日、ハッサンの行状をキャラヴァンヴォヤージュ社にメールしたところ、ガイド料の全額を返金してきた。少々気の毒な気もした。なにしろ、思い出に残る名(?)演技だったのだから・・・「富める者が少々の散財をするのは当たり前だろう」ハッサンならそう言いそうである)

ツブカル山登山とモロッコの旅(32)2006/11/23 18:01

世界遺産、フェズのメディナを見下ろす