第3回木曽川流域圏シンポジウムの報告(5)2010/01/12 12:39

 第3部は、「生物多様性と木曽川流域圏」と題して流域各地で活動するグループや個人からの報告である。2010年10月に名古屋市で開催される生物多様性条約締約国会議COP10では、木曽川上流域の生態系サービスであるおいしくて安全な水や、農林産物を享受する下流域都市圏の責任として、上流域支援の義務が議論されるべきであるという文脈で設定されたテーマである。
 トップバッターは徳山ダム反対運動を中心的に闘ってこられた近藤ゆり子さん。つい最近出版された「徳山ダム導水路はいらない」(風媒社)の著者でもある。生物多様性に関連して、利用のメドが立たない徳山ダムの水を890億円もの追い銭をして木曽川まで運び、渇水時に木曽川中流域のヤマトシジミを塩害から守るという怪しげなこじつけ(環境維持用水というらしい)をひねり出した国土交通官僚どもの浅知恵(悪知恵)の紹介をされた。そもそも長良川河口堰建設によって長良川のヤマトシジミは壊滅状態になっているわけで、その下手人どもが木曽川のヤマトシジミを守るというのだから笑止千万である。

第3回木曽川流域圏シンポジウムの報告(4)2010/01/12 12:38

サシバ 

小和沢の生物調査を13年間余り、合計159回にわたって続けてきたスズサイコの会・梅北征子さんの報告は圧巻だった。サシバ、オオタカ、ノスリ、ハチクマ、クマタカなどの猛禽類、キクイタダキ、ウソ、ミゾゴイ、コノハズクなど・・・次々と登場する鳥たち、小和沢は実に豊かな鳥たちの棲みかとなっているのだった。植物に関するデータも鳥に負けない豊かさを示し、絶滅が危惧される植物が多数確認されていることが明らかになっているが、盗掘を恐れて写真が映されなかったのが残念だった。「スズサイコの会」と御嵩町民中心の「オオタカと美しい自然を守る会」が続けてきた膨大な調査記録は、「小和沢利用計画指針のための基本的考え方(案)」に対する意見書でも大きな役割を果した。検討委員会はこの貴重なデータについて議論しなかったし、御嵩町役場も評価しようとしていないのは残念なことである。専門家の調査ではないというのが彼らの言い分のようだが、分類学や生態学の分野では在野の研究者、卓越したアマチュア研究者が果たしてきた役割は大きい。レッドリストなどの基礎データでもそれらは大きな貢献をしているし、万博開催をめぐって揺れた海上の森の環境アセスメントでは専門家の調査結果の誤りがお母さんグループの調査で次々と明らかにされたことは記憶に新しい。そもそも、牧野富太郎やファーブルだって在野の研究者だったのである。
 第1部は名古屋市の水源林に関する提案を総合討論への宿題としていったん締めくくり、休憩をはさんで第2部のみんみん演奏に入った。間伐材で製作された創作楽器「みんみん」を、創作者である川合ケンさん自身が演奏してくれるという貴重な時間である。華奢に見えるが意外に堂々とした音である。イマジンなど数曲が演奏され、最後は「ふるさと」を参加者も一緒に合唱して終わった。

第3回木曽川流域圏シンポジウムの報告(3)2010/01/12 12:36

 みたけ産廃を考える会で処分場反対運動をしてこられた岡本隆子さん(現御嵩町議)からは、御嵩町産業廃棄物処分場計画地利用指針検討委員会設置の経緯や、そこで行われた議論、「利用指針のための基本的考え方(案)」とそれに対する「御嵩産廃を考える会から提出した意見書」、「利用指針(案)」(シンポ資料として配布された)などについて説明があった。「利用指針(案)」に対しては18通の意見書が寄せられ、そのうち14通が「小和沢に産廃関連施設を造らないことを明記すること」を求めていたこと、それを受けて利用指針原案の結語で「住民投票の結果を尊重して利用計画を策定」とされていたのが「産廃処理施設を設置しない」と明確な表現に改められたことなどが報告された。
 さらに岡本さんは壇上から「この会場に御嵩町役場の職員と可児署の公安担当刑事がいる」ことを明らかにし、会場に緊張が走った。「やっぱり御嵩産廃問題はまだまだ終わっていない」ことが参加者一同に実感として感じられた瞬間であった。そもそもどうして公安の刑事が市民団体主催のシンポジウムの監視をしに来るのだろうか。もしかしたら誰かに買収されているのかも・・・?(ちなみに、彼らは第1部終了時点で姿を消した)

第3回木曽川流域圏シンポジウムの報告(2)2010/01/12 12:34

 第1部を始めるころにはなんとか50名ほどが集まってほっとしながらスタート。まずは司会から木曽川に面した急斜面での巨大産廃処分場計画が明らかになって以来、柳川町長襲撃事件が起きたこと、産廃問題に関する全国初の住民投票が行われて計画が止まったこと、今年になって御嵩町産業廃棄物処分場計画地利用指針検討委員会が設置され、恣意的な委員選考や住民投票の結論を揺るがしかねない議論経過があったことなど、14年間の流れを大急ぎで紹介した。
 次いで、御嵩町住民投票直接請求代表者であり、条例の条文などを書かれた田中保さんから住民投票が行われた経緯について報告していただいた。約90%の投票率で80%が産廃処分場拒否の投票をした、すなわち全有権者の70%が産廃拒否の意思表示をしたことになる。署名運動の当初から1万人の拒否投票を目指していて、そのとおりの結果を得ることが出来たと話された。
 続いて、前御嵩町長・柳川喜郎さんが立ち、東京都は明治時代に奥多摩などに26000haの水源林を購入したこと、横浜市は大正時代に山梨県道志村に2800haの水源林を購入し、戦後になって道志村にゴルフ場立地問題が起きた時に水源基金を設置して道志村の応援をしたこと、甲府市も富士川上流に水源林を持っていること、一方名古屋市は大正3年に木曽川の水利権をタダで手に入れたのに水源林を持っていないし、木曽川上流に対してほとんど何もやってこなかったことを指摘された。また、木曽川の水を一滴も飲んでいなくて高価な飛騨川の水を引いている御嵩町民が、安い木曽川の水をジャブジャブ使っている名古屋など下流域住民の飲み水の安全に配慮した投票を行ったことが改めて確認された。(なお、出版されたばかりの柳川さんの著書「襲われて-産廃の闇・自治の光」(岩波書店)が受付に並べられたが完売した。)

第3回木曽川流域圏シンポジウムの報告(1)2010/01/12 12:22

報告:第3回木曽川流域圏シンポジウム
「御嵩町・産廃処分場問題は終わっていない」

 シンポの当日、朝起きるとあたりは雪景色。名古屋で今冬初めての雪が降ったのである。これでは来たい人でも来れなくなる・・・心配しながら会場の名古屋工業大学へ向かって自転車をこいだ。
 市村さんの労作になる大看板を正門前に設置。140人収容の大講義室には2枚のスクリーン。2枚目は、登壇者の紹介や木曽川の風景などを映すつもりある。準備に追われているところへ御嵩から来た人たちが到着。御嵩出発の時はまだ吹雪模様だったという。