葉山・焼山・八幡平20172017/06/03 16:45

寒河江から葉山を望む


 2011年の福島原発事故から6年目の5月連休である。静岡県から青森まで17都県3200地点で行われた土壌汚染調査「東日本土壌ベクレルプロジェクト」の空白域を埋めるために、旅のスタートで長野県北部の土壌サンプリングを行った。それに続いて汚染地・郡山の有機農業家である中村和夫さんの葬儀に参列し、その後、東北の雪山に向かった。

葉山・焼山・八幡平2017(2)2017/06/03 17:02

サクランボの花


コースタイム:
4/30(晴れ) 名古屋7:00-姨捨SA-保科温泉―須坂-中野-志賀高原-木島平-野沢温泉-信濃町―飯綱町-19:15戸隠(アコールデ泊)
5/1(雨) 戸隠9:00-新潟-13:00郡山-葬儀参列16:30-東北道―山形道―18:30道の駅・寒河江(車中泊)
5/2(晴れ) 起床4:30-道の駅出発5:30-6:50畑集落・葉山荘前駐車場(759m)7:10-7:50キャンプ場(850m)-8:31尊仏平(1180m)-9:22火口壁リム(1350m)-9:50小僧森(1407m)10:05-10:20リム(昼食)10:38-11:30キャンプ場-11:58駐車場-13:00河北町・道の駅14:00-新庄―横手―大曲-角館-18:00田沢湖高原温泉郷・民宿そよかぜ

葉山・焼山・八幡平2017(3)2017/06/03 17:04

畑部落から出発


長野県北部の土壌サンプリング
 姨捨SA(千曲市)から始めて、菅平に抜ける道筋にある保科温泉(長野市)、須坂市、湯田中と志賀高原(山ノ内町)、木島平、野沢温泉、ナウマンゾウ博物館(信濃町)、飯綱町と回って、戸隠(長野市)まで11地点で土を採取した。宿泊したアコールデは、我々を入れて6名に宿泊。連休にしては少ない。多かったのは残雪で、アコールデの周囲もまだ融けていなかったし、奥志賀林道もまだ開通していなかったので志賀高原から栄村に抜けることが出来なかった。

中村さんの葬儀
 有機農家であり、彼の田んぼにはハクチョウが飛来する。素晴らしい農業を営んでいたのに、ここにも福島原発事故による放射能が降り注いだ。カリウムの大量施肥などで米に放射性セシウムが入らないような工夫をするなど以前にもまして農業に心血を注いできた中村さんだったが、くも膜下出血で他界された。ムシロ旗を立てて国会議事堂前の脱原発集会に駆けつけたり、各地で反原発の講演を行った人でもあった。誠に残念の極みであると同時に、原発事故の下手人たちがのうのうと生きていて、中村さんのような方が簡単に天に召されてしまうこの世の不条理を恨みたい。
 葬儀は神道で行われた。筆者の母の実家が郡山で、やはり神道だったことを思い出したが、具体的に葬儀に参加するのは初めてだったので興味深いものだった。笛、太鼓、鈴のお囃子に合わせて神官が剣舞や扇の舞で踊り続けるのである。葬儀が終わると、食事が準備されていて、100人規模での大宴会となって、故人をしのんだ。大阪から駆け付けた産直会社の社長が30年ぶりに会った友人だったりして、中村さんが積み上げてきた人脈の広さにも改めて驚かされた。

葉山・焼山・八幡平2017(4)2017/06/03 17:06

尊仏平を行く 


月山の東に姿の良い雪山が聳えていることは何十年も前から知っていた。しかし300名山にすら数えられず、登ったという友人の話も聞かない。それでもなぜか気になる山であった。今回、長野県北部での土壌サンプリングを行った後、八幡平で「ブナの木スキークラブ」の面々と合流する前に登る山を探していて、この山のことを思い出した。ただし、少し心配なのは標高がやや低いことである。しかし、月山東面の有名なツアーコースである肘折ルートが降りついたところから隣り合わせて聳えている山である。しかも今年は残雪が多い。3月に黒姫山に登った時に、昨年より1mは多いと感じたが、5月連休になってもその傾向は変わらないようだ。
 登山口はいくつかあるようだが、今回は葉山南麓の畑集落(寒河江市)を選んだ。前日泊めてもらった道の駅・寒河江から国道458号線に入り、幸生部落から右折して畑に向かう(458号線を北上すると肘折温泉に着くが、まだ開通していない。開通は6月上旬になると書かれていた。)。道の両側はちょうどサクランボの白い花が満開で美しい。ほとんどの木は鉄パイプのフレームで覆われていて、やがて実が付くころに雨除けのビニルシートがかけられるのだそうである。

葉山・焼山・八幡平2017(5)2017/06/03 17:07

火口壁のリムに着いた~目の前が小僧森 


途中から雪が現れてきたが道路は除雪されている。その除雪の終点は寒河江市営葉山荘(一種のビジターセンター)の駐車場だった。山形ナンバーの車が1台とまっていて、男性二人が出発の準備をしていた。葉山東麓の東根市の方と、東京から来た友人ということだった。彼等はピッケルとアイゼンだ。我々もシールを貼るなど急いで出発の準備を始める。
 ルートは夏道伝いである。とりあえず、アイゼン組の足跡を追いながら落差100mほど登ると広々としたキャンプ場に出た。ここをつき切って正面の広い沢を登る。高度が1000mを越えたあたりから方向が変わり、尾根の上を進むようになった。急斜面を登りきると気持ちの良い明るいブナ林が広がっていた。ここで先行するアイゼン組に追いついて、しばし談笑しながら登った。東根市から来た人の話では、かつて葉山は出羽三山(月山、湯殿山、葉山)の一つとして信仰されていたのだそうである。それがいつの間にか羽黒山にとって代わられてしまったとのこと。そして、このあたりを尊仏平というらしい。振り向けば月山のアスピーテが大きく堂々としている。